革ジャンに最高のメンテを

歴史

history01.jpg日本で最も歴史のある革ジャンメーカーであるカドヤ。

その挑戦と革新の企業精神は創業から70年もの間、揺らぐことはなかった。


カドヤは創業から浅草に根をはり営業を続けてきた。創業当初の店名は「カドヤ皮服店」。いわゆる洋服屋である。職人の町である浅草には、当時から同じような洋服屋がたくさん営業していた。

その中で、何故カドヤが国内はおろか海外でも知られるメーカーになったのか。


創業当初から、カドヤは革製品の修理と染め替えも行っていた。当時、革は貴重な素材で、自社の製品を作るかたわら「この革で足袋や革ジャンを作ってくれ」、あるいは「この革ジャンを染め直してくれ」という要望に応えることも多かった。

 

history02.jpg現在でもオーダーメイドはカドヤにおける柱のひとつであるが、サイズ調整はもちろん、ユーザーの好みに合わせたカスタムを受け付けているのは、創業者の故・深野正次郎の、「革はお客さんの好みで作り変えるもの」という考えが、今でもしっかり息づいているからだ。

東京・浅草は古くから革問屋が多く、皮革製品も盛んに作られていた。その本場・浅草にカドヤが創業したのは、第二次世界大戦がはじまる6年前の1935年。

モーターサイクルジャケットの研究家・田中凛太郎氏によると、革ジャンの歴史は約100年。イギリスがその発祥の地とされているが、モーターサイクル用として初めて作られたのは1930年代のアメリカだったという。

それは、ちょうどカドヤの創立と同じ時期だった。

「オヤジもバイクが好きで、バイク用の革ジャンをよく作っていました。もともとは革の製品なら何でも作っていましたが、革ジャン作りの上手い店があるって評判になり、ライダーが大勢来るようになりました」
(創業者の故・深野正次郎の長男で、現社長の深野正孝)

当時、革ジャンを作るにも作り方の教科書などあるわけもない。米軍払い下げの革ジャンの修理やサイズ直しの依頼も多く、正次郎はそこで欧米の革ジャン作りを学んだ。

history03.jpgまた、その頃は革ジャン用の革などはなく、お客さんが持ち込んだ革やカバン用に仕入れたものを利用していた。カドヤが本格的にライダースジャケットを作り出した約50年前は、特に外車に乗っているお客さんが多かった。当時から既製品の革ジャケットも存在していたが、造りがヤワですぐに裂けてしまうようなものが多く、本物志向のライダーには「革ジャンはオーダーメイドに限る」という考えが根付いていた。

「オヤジはお客さんを大切にしていた。そして自分の作った革ジャンに誇りを持っていた。皮ジャンは吊しを買うんじゃねぇ。寸法測って作らないと作る意味がねぇ、と常々言っていた。ハーレーやトライアンフに乗っているクラブチームの革ジャンをよく作らせてもらいました。それに有名人やスポーツ選手も多かった。学生当時、店の前に人だかりができていて何があったのかと覗いたら、店の中に坂本九さんがいてね。オヤジが採寸していました」
(現社長・深野正孝)

当時、外車クラブに所属して、カドヤの革ジャンを作ったことのある人は、一様に正次郎の職人魂を称える。例えば、気に入った人には、「ピッタリの革ジャンを作ってやる」といって特別な採寸を行った。畳の上に模造紙のような紙を敷き、いきなりその上に大の字になって寝ろと。そしてその人の体の線にそって紙に型を描いたのだ。

「浅草のオヤジを絵に描いたような性格でしたね。宵越しの金は持たないというか。ある時は店の売上を全部持って、お客さんと飲みに行こうとするから慌てて引き止めました。その金を持っていかれたら明日から生活できなくなる、ってね」
(現社長・深野正孝)


そして、現社長の深野正孝が最初にカドヤのロゴマークを作りそのブランドを確立し、全国にカドヤの名前を知らしめることとなる。

現在のカドヤのマークと言えばクラウンマークと呼ばれる王冠を模した枠にKADOYAのロゴと日の丸が描かれているものだが、最初は馬のマークとローマ字の筆記体のネームを裏地に縫い付けていた。馬のマークは午年の正孝が馬好きだったからだが、その後長く使用されることになる。そしてそのマークはライダー以外のお客さんをも強く惹きつける象徴となった。

history04.jpgカドヤ製品の品質の高さは多くの人が知るところとなり、特に芸能人御用達と言われるほど有名人に愛用者が多かった。

若い頃のビートたけし、仮面ライダー1号を演じた藤岡弘をはじめ、石原プロの舘ひろしやカースタントをやっていた三石千尋には何着も革ジャンを作った。

近年ではKUWATA BAND時代の桑田圭佑、仲村トオル、シャ乱Q、安室奈美恵などもカドヤユーザーである。

「プロレスラーやプロボクサーもいたね。両国の関取衆も親方に内緒でバイクに乗って革ジャンを作りにきた。彼らは既製品じゃサイズが合わないからオーダーメイドしか着られなかったんだろうけどね」
(現社長・深野正孝)

そしてバイクブーム到来とともに、カドヤの名前は一気に知られるようになる。一時は何十名ものレーシングライダーをサポートし、筑波サーキットには大企業に並んで看板も設置した。


80年代に入っても創業当初の「オーダーメイド」と「高い品質の製品を作る」といったポリシーは変わらなかった。ハードなバイクユーザーのユニフォームとなった「BATTLE SUIT」。初のMFJ公認2ピーススーツとして発売された「OVERGUARD SUIT」。それら数々のベストセラー商品はどれも、カドヤならではの唯一無二の発想と熟練職人の技により誕生したものだった。

history05.jpg現在、カドヤの本社工場には、ベテランと若手の職人がいいバランスで在籍している。ベテランの技と若手職人の熱意。双方がお互いに足りないものを補い、よりよい製品作りを目指している。工房の中では、勤務時間中に一切の私語はない。ピリピリとした空気が漂い、外部の人は異様な雰囲気だと感じるかもしれない。

そこはまさしく職人の真剣勝負の場なのだ。

今、カドヤが国内最大級の革ジャンメーカーであるのも、何人もの名人と呼ばれる職人がいたからこそだ。昔作った革ジャンが修理に持ち込まれることがあるが、そのたびにしっかりした作りに驚き、改めて自社の職人の仕事に納得する。

「どの職人が作ったか、クセがあるからすぐわかるんです。そこで思うのは、やっぱりカドヤの製品は職人ありき。その時代ごとに職人同士がシノギを削っていいものを作り続けてきたんだなと実感します」
(現社長・深野正孝)

古い革ジャンが修理に入ってくると、懐かしさもあって新しい革ジャンと交換してくれませんか、と声をかけるのだが、決まってオーナーはガンとして首を縦に振らない。

「ありがたいことです。だから半端なモノは作れない。その人が一生、さらにはその息子や孫の世代まで着続けてもらえるモノを作らなければなりません。幸いにカドヤはベテランと若手の職人が充実している。末永くお客さんの革ジャンをサポートしていくことができる体制があるんです」
(現社長・深野正孝)


history06.jpgそして、近年カドヤは新事業に着手した。それは今まで行ってきた補修やメンテナンスとともに、販売後の革ジャンをサポートするクリーニング事業だ。

「この新事業は革ジャンを作り続けてきた私の、最後の使命だと思っています。技術的な問題があっていままで手が出せなかったのですが、実績のある手法を取り入れ、ようやく実現できます。長年描いてきた体制がこれで出来上がる。今後は革ジャン作りと共に、この事業をもっと研究してよいものにしていきたいです」
(現社長・深野正孝)

 

「伝統」と「革新」。

カドヤの革ジャンに対する熱意は決してとどまることなく、今後もより高い目標を掲げ、理想の実現に邁進して行く。